発見された液晶ですが、多くの研究者がこの材料の研究を続け種類も増やしていきますが、性質としては温度(それも百数十度)によって複屈折により光の通り方が変化するということが分かったくらいでした。
液晶のディスプレイへの応用が検討されるきっかけとなったのは、1963年にアメリカのRCA研究所にいたウィリアムズが、ある液晶物質に電気的な刺激を与えると光の通り方が変わることを発見したことでした。
温度に頼らずに電気により液晶の制御つまり光の制御ができるということで表示素子への応用の可能性があることを確信した彼は、すぐに特許を出願しています。[R. Williams, U.S.P. No.3,332,485(Filed; Nov.9, 1962)]



当時の超一流電気企業であったRCAには優秀な人材が多く、ジョージ・H・ハイルマイヤーという研究者も液晶が白濁することを利用して世界で初めて簡単な液晶ディスプレイを1964年につくり、1968年に公式発表しています。
しかし当時は、ブラウン管による地上波テレビの全盛期、RCAはそのブラウン管テレビを最初に作った会社で当時大儲け、「次は液晶でもテレビを作って世界をリード」したいと意気込んでいた研究者達ですが、冷静に見るとまだまだとてもテレビに使えるようなレベルではなく、海のものとも山のものとも分からない技術。
とりあえず電卓か時計といった商品への応用と研究方針の鞍替え、しかし大企業RCAにとっては極小というか亜流のビジネスでした。
一方ブラウン管の技術改良はどんどん進んでいきビジネスも一層巨大化、亜流に追い込まれた液晶はその進歩が停滞、しばらく歴史の表舞台から消えてしまうという悲哀を味わうことになるのでした。