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容赦のない怒号が飛ぶ。それも無理はない。当初は4890億円とされたホンハイ側の出資金額は、最終的に約1000億円減額された。今後、ホンハイ側の責任以外の理由で契約が成立しなかった場合、液晶部門のみを同社が優先的に買い取るという不利な条件まで付いている。加えて株主たちを困惑させているのが、ホンハイCEO、テリー・ゴウによるリストラ計画だ。4月時点では「なるべく全員に残ってもらいたい」と話したテリーだが、5月中旬にはついに7000人の人員削減が報じられるに至った。
ホンハイの拡大の要因は、中国の安価な人件費をフル活用したコスト競争力と、「軍隊式管理」と呼ばれる厳格な社風がもたらす生産速度だ。一般消費者向けの自社ブランドを持たない一方で、取引先にはアップルやデルのほか、インテル、ソニー、ソフトバンクなどそうそうたる企業名が並ぶ。加えてM&Aを積極的に活用し、事業の規模と範囲を飛躍的に拡大してきた。2016年4月のシャープ買収後も、マイクロソフトのノキアブランドのフィーチャーフォン事業を3億5000万ドル買い取っている。


「私は松下幸之助氏や盛田昭夫氏を尊敬している」 日本人向けのリップサービスの場で、テリーはそんな言葉を口にする。だが、いまやホンハイの時価総額は日本円で約4.3兆円に達し、企業規模はソニー(約3.8兆円)やパナソニック(約2.3兆円)を軽く上回る。 浮き沈みの激しい電子製品業界で、30年以上も成長を続けるホンハイは奇跡の企業だ。その発展の源泉には、テリーの独裁的経営と、営業のプロである彼一流の「人たらし術」があった。

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「テリーは自社に役立つ相手を口説くためには何でもする」 台湾の大手経済誌「今週刊」のベテラン記者はそう言うと、HP(ヒューレット・パッカード)の中国法人CEOやテキサス・インスツルメンツの高級幹部を経て、07年にホンハイに引き抜かれたテリー・チェン(程天、以下チェン)の話をしてくれた。 もとより、チェンは数十年前から台湾IT界のヒーローとして知られており、テリーはチェンに数十年越しの片思いを続けてきたという。
「09年の提携当時、テリーさんはうちの会社(奇美電子)に非常に敬意を払ってくれました。しかし、彼は技術を見ていただけで、私たちの社風を見ていたのではなかったと思うのです」 台南市の奇美博物館で取材に応えたのは、奇美(チーメイ)実業の創業者・許文龍(シュー・ウェンロン)氏だ。日本統治時代の1928年生まれ。流暢な日本語を操る台湾屈指の実業家だ。
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郭台銘
●1950年台湾・板橋生まれ。両親は外省人。66年中国海事専科学校に入学、71年大手海運会社に就職。74年、10万台湾ドルを元手に創業。82年に社名を「鴻海精密工業」に変更、88年に中国大陸に進出し、主に富士康(Foxconn)という会社名称で業務を展開


許 文龍
●1928年、台南生まれ。台湾の「松下幸之助」とも称される台湾屈指の実業家。59年に「奇美実業」を創業、耐熱性・耐久性の強いABS樹脂の生産世界一に成長させた。99年に「日経アジア賞」、2013年には「旭日中綬章」を受章。芸術にも造詣が深く、台南に「奇美博物館」を開館。