1935年の今日(7月14日)、ノーベル賞を受賞した化学者・根岸英一(ねぎし・えいいち、1935-2021)さんが誕生しました。
満洲国新京(現在の中国吉林省・長春)で生まれた根岸さんは、終戦後の1945年11月に日本へと引き揚げ、1958年に東京大学工学部を卒業したのち、帝国人造絹絲(現在の帝人株式会社)に入社しました。

しばらくは会社勤めをしていましたが、1960年に休職するとアメリカのペンシルベニア大学に留学し、PhDを取得しました。その後、一時的に復職しますが、今度はアメリカのパデュー大学に留学し、そのままアメリカに残って研究を続けることとなります。
さて、根岸英一さんといえば2010年にノーベル化学賞を受賞し、日本を大いに沸かせたことで知られていますが、その研究内容について知っている人はあまり多くないかもしれません。





彼が鈴木章(すずき・あきら、1930-)さん、そしてアメリカのリチャード・ヘッグ(Richard Fred Heck, 1931-2015)とともにノーベル化学賞を受賞したのは「有機合成におけるパラジウム触媒を用いたクロスカップリング」という業績によるものです。

クロスカップリングとは、異なる構造を持つ分子が選択的に結合する反応のことです。共同受賞者のうち2人が日本人であることからも分かる通り、この分野には日本人が多く関わっており、「日本のお家芸」的な扱いをされることもあります。

有機化学の世界では炭素同士がどのように結びついているかが非常に重要で、思い通りに炭素と炭素を結合させることができれば様々な有機化合物を合成することが可能になります。

そんな中、1972年にリチャード・ヘックがパラジウムを触媒として用いるクロスカップリング反応で化合物を作る方法を発見します。そこから世界中の科学者が手を替え品を替え、狙った化合物を効率的に合成する方法の開発を試みました。

根岸さんが行ったのは当時使われていたグリニャール試薬の代わりに有機亜鉛試薬を用いるカップリングの考案で、これによってより複雑な化合物の合成をより安定に行うことができるようになりました。このカップリングは「根岸カップリング」と呼ばれています。

このクロスカップリング反応は、現在では主に創薬の分野で大きな業績を上げたほか、有機ELディスプレイの製造など、工業分野にも応用されています。

世界の化学界に大きな影響を与えた根岸英一さんですが、今年(2021年)の6月6日にアメリカのインディアナ州の病院で亡くなったことがパデュー大学から発表されました。85歳でした。

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