1e8493737f219251996シャープの元副社長として同社を世界的な電機メーカーに育てた佐々木正(1915年5月12日~2018年1月31日)。「ロケット・ササキ」の異名を持つエンジニアだ。

 少年時代を台湾で過ごし、旧制台北高等学校では卒業研究として、マンゴーとリンゴを接ぎ木してマンゴーの品種改良に取り組んだ。熱帯の果物であるマンゴーと北方のリンゴを掛け合わせるのは至難の業だが、研究の結果、見事に成功させ、リンゴのような形をしたマンゴー「リンゴマンゴー」を生み出した(いわゆるアップルマンゴーとは別)。

 このとき佐々木は、「異質なものが融合すれば、必ず新たな価値が生まれる」という信念を得たという。その確信は「共創」という言葉で後々語られるようになる。






ロケット・ササキージョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正ー(新潮文庫)【電子書籍】[ 大西康之 ]

京都帝国大学を卒業し、川西機械製作所、神戸工業(共に現デンソーテン)を経て、1964年に早川電機工業(現シャープ)に転職する。当時はまだ珍しかったトランジスタの量産化を先導し、電卓の小型化と低価格化、高性能化を推し進めた。

『ロケット・ササキ――ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』(大西康之著・新潮社)には、佐々木のシャープでの功績以外のエピソードがふんだんに語られている。

 中でも有名なのは、ソフトバンク創業者の孫正義との関係だろう。孫は79年、米カリフォルニア大学バークレー校在学中に開発した「音声機能付き電子翻訳機」を持って、シャープ中央研究所にいた佐々木の元を訪ねた。孫の才能を見込んだ佐々木は、研究資金としてポンと1億円を与えた。この出会いと資金がなければ今のソフトバンクはない。

 佐々木は、若き日のスティーブ・ジョブズにも会っている。85年、ジョブズが自ら創業したアップルを追放されていた時期だ。佐々木はジョブズに自身の信条である「共創の哲学」を説いたという。「異質なものが融合すれば、必ず新たな価値が生まれる」という考えだ。電話とコンピューター、インターネットを融合させたiPhoneが登場するのはその後だが、佐々木のアドバイスが生かされた可能性は高い。

 今回は、「週刊ダイヤモンド」94年8月27日号に掲載された佐々木のインタビューを紹介する。89年からシャープでは顧問に退き、94年5月に国際基盤材料研究所(ICMR)を設立したばかりのタイミングだ。その他、さまざまな要職に就き、技術王国を支える後進の育成にいそしんだが、2018年に104歳で生涯を閉じた。