JDI キャメロン米国人の私が縁あって日本企業を経営している。子どもの頃、父親の仕事の関係で3年間日本に住んだ。大学時代、松下電器産業(現パナソニックホールディングス)の研修センターと工場で2カ月間の研修を受けるため再び来日し、日本を深く尊敬するようになった。
米国で大学院を修了後、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)の客員研究員として来日し、金融畑で働いて29年になる。

 多くの方に親切にしていただき、人生をかけて日本へ恩返ししたいと考えるようになった。
日本企業の成長を応援するため、日本株の長期投資に特化した独立系資産運用会社「いちごアセットマネジメント」を2006年に設立した。社名の由来は「一期一会」だ。






日本での半生でとりわけ忘れられない出会いがある。私が現在も会長を務めるサステナブルインフラ企業「いちご」で社長を務めた岩崎謙治さん。戦友であり、経営の師だった。20年、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)で52歳でお亡くなりになった。手元には岩崎さんが生前に書いた自叙伝「Gift」があり、彼の人生哲学と経営理念が書かれている。

出会いは08年、岩崎さんが働いていた会社に将来性を感じ、いちごアセットマネジメントが投資を行ったことがきっかけだ。直後のリーマン・ショックで事業環境が厳しくなり、経営再建のために私が会長を引き受けた。

二人三脚で関係先に頭を下げて回り、事業の選択と集中も進め、死に物狂いで再建に当たった。太陽光エネルギーなど岩崎さんの発案が実って急回復。社名も「いちご」に衣替えし、15年には東証1部上場を果たし、祝杯を挙げた。

福岡の炭鉱町で育った岩崎さんと米国人の私。文化は異なるが抜群に相性が良かった。企業の存在意義は社会貢献であり、人財が何より大切だとの哲学が100%一致していた。自らの報酬を辞して会社に尽くそうとする岩崎さんを押しとどめたこともある。圧倒的な行動力と人一倍の優しさを兼ね備えた岩崎さんを今も心から尊敬している。

病と闘い、亡くなる前週まで出社し、生きざまを見せてくれた。彼ほど優秀な経営者は後にも先にもいない。今も仕事で悩むたびに心の中で問い掛ける。「こんなとき岩崎さんならどうする?」

1964年米国生まれ。米スタンフォード大博士。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)などを経て、2006年にいちごアセットマネジメントを設立。20年より投資先だったジャパンディスプレイの経営に参画し、21年から現職。

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