世界的経営コンサルタントとして活躍した著者のエリヤフ・ゴールドラット博士から直々に薫陶を受けた、ゴールドラットジャパン最高経営責任者(CEO)岸良裕司氏に日本企業再興のヒントを聞いた。
編集部(以下、──)ゴールドラット博士が1984年に米国で『THE GOAL』を発表してから2001年まで和訳を許可しなかった理由とは何か。
ザ・ゴール 企業の究極の目的とは何か [ エリヤフ・M.ゴールドラット ]
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液晶・有機EL・プラズマ、FPD業界・パネルメーカー・関連企業情報を掲載。当ブログで激しい市場動向に追随!--Since Nov.2004
ソニーグループ・吉田憲一郎 会長兼社長 CEOの単独インタビューをお届けする。 5月18日に開かれた2022年度経営方針説明会にて、吉田氏はソニーのこれからの投資領域として「モビリティー」と「メタバース」の2つを挙げた。
これらの未来にどう期待しているのか? そして、どのような戦略で臨むのかを聞いた。
「当社としては“感動バリューチェーン”、感動を作ってユーザーに届けるまでの広がりを重視しています。その広がりこそが、『モビリティー』であり『メタバース』だと認識しています」 インタビューに応じた吉田社長は、2つの領域を挙げた理由をこう話した。
2007年4月。シャープ社長に49歳の片山幹雄が就任した。片山は矢野耕三がテレビ用の小型液晶を開発していた際の部下だった。現場で亀山工場の立ち上げに奔走していた矢野とは対照的に、亀山第1工場が稼働する前の03年に取締役に昇格すると、とんとん拍子で出世していった。
シャープには珍しい東大工学部出身の技術者で、端正な顔立ちと理路整然とした語り口、さらに自信に満ちた「強気」な性格と、4期連続で過去最高益を達成していた当時のシャープの勢いを象徴する人物だった。「亀山工場を通じてシャープの液晶を世界に知らしめた功労者であることは間違いない」と矢野も認める。
その「プリンス・片山」が社長になって最初に手掛けたのが堺工場の建設だ。社長就任から3カ月後の7月末、片山は堺工場の建設を発表した。亀山工場の4倍の敷地に3800億円を投じる計画だ。
一時代を築いた-。東芝姫路工場(兵庫県姫路市余部区上余部)を知る誰もが口をそろえる。蛍光灯やブラウン管、半導体など、暮らしに欠かせない製品を時代に先駆けて送り出す拠点だった。
現場を支えたのは、地元や集団就職の若者たち。工場で技術を学び、職場結婚をして地域に根を張った人が多い。
東芝姫路の操業が停止して10年が過ぎた今も、従業員や取引先として工場と歩んだ住民の胸には、往時の姿が色あせずに残る。その1人、元製造長の男性は、幻の液晶工場構想を昨日のことのように語り始めた。
シャープの経営体制が、鴻海グループ傘下となったのが2016年8月13日。それから、ちょうど5年を経過した。
2016年3月期には、1619億円の営業赤字、2559億円の巨額の最終赤字を計上。債務超過により、同年8月1日には東証一部から二部へと降格という、まさに瀕死の状態だった当時のシャープの経営を担うことになったのが、当時、鴻海精密工業の副総裁だった戴正呉氏であった。
戴氏は、社長就任初日に、「早期黒字化を実現し、輝けるグローバルブランドを目指す」というタイトルで全社員に対してメッセージを発信。このなかで、「104年の歴史を誇る世界的な企業であるシャープの再建に向け、大きな責任を担うことを誇りに思い、その責務を全力で果たしていく」と語る一方、「経営再建の担い手は皆さん一人ひとり。新しいシャープを自ら創っていく気概を強く持ち、それぞれの業務において主体的に変革に取り組んでほしい。皆さんと私は仲間。一緒に困難を乗り越え、早期の黒字化を果たそう」と呼びかけた。