この発表は世界中に衝撃を与えました。RCA社は,白黒テレビのみならずカラーテレビを発明した会社であったので,すぐにも壁掛けテレビが実現しかねない雰囲気があったようです。
しかし技術的な課題は大きくまだまだ実用化の壁は高かったのです。
しかし技術的な課題は大きくまだまだ実用化の壁は高かったのです。
ここで登場するのが日本のシャープ。
シャープのある技術者がこのニュースを聞き,これは将来すばらしいディスプレイになると直感したのです。
そこで彼は,上司の事業部長の佐々木正に「是非RCA社に行って,液晶ディスプレイの研究状況を調査して欲しい」と申し出ました。
佐々木は,その秋(1968)RCA社を訪問し,液晶ディスプレイ(表示装置)を自分の眼で確かめ,液晶の特徴は(低電圧駆動,低消費電力,薄型平板)であると見抜き,これはシャープの電卓の(表示装置)として最適であると確信しました。佐々木は,旧知でRCA社の半導体事業部の責任者ボンダシュミット(B.V.Vonderschmitt)に会い,シャープの電卓用に液晶表示装置をOEM供給して欲しいと依頼しました。
しかしボンダシュミットの返事は「電卓の場合は数十ミリ秒という応答速度が必要となり,液晶では対応出来ない」というものでした。
当時は電卓の開発競争の真っ最中。
1964年6月,早川電気工業(現シャープ)は,世界で始めて半導体による電卓「CS-10A」を発売していました。「CS-10A」は全半導体式でしたが,表示装置はニキシー管でした。
この後,国内外各社によって半導体式電卓の激しい性能と価格の競争が繰り広げられていました。
1971年,立石電機(株)が8桁電卓「オムロン800」を49,800円で発売し,これはシャープのMOSLSI 電卓「QT-8D」の半値であったので,この発売は業界では「オムロン・ショック」と呼ばれました。
1972年8月,カシオ計算機(株)は,6桁表示電卓「カシオミニ」を従来の最廉価機種の1/3以下の12,800円で発売し,爆発的な売上を記録したのです。これにより,同社は電卓のトップシェアになりました。
シャープの電卓シェア1位の奪回は,まだまだ先になるのでした。
シャープの電卓シェア1位の奪回は,まだまだ先になるのでした。
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シンプルな文体ですすむ、当連載は新たな楽しみとなりました!
次回にも期待しております。
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