

..当時ずいぶんと(1)当時中村社長は、02年に4000億円を超える赤字経営に転落した同社をV字回復させた男として評価され、“中村天皇”といわれるほどの独裁的な権勢を振るっていたため、経営会議で彼が推進するプラズマテレビ戦略を否定したり、疑問視する意見を言える雰囲気ではとてもなかったという。(2)そのため、市場動向の客観的なデ-タの裏づけのない楽観的な見通しや主観的な期待に基づくプラズマディスプレイ戦略が立案され、06年からライバルメーカーのプラズマ撤退が相次いだにもかかわらず、抜本的な厳しい見直し・変更は一度も行われなかった。(3)当時、パナソニックが巨額な大型投資に対するチェックが甘かった要因として、「松下銀行」といわれるほどの1兆5000億円にのぼる余裕資金があったことだ。このため、市場動向の冷静な分析や厳しい投資チェックを欠いた。07年に1兆5000億円あった余裕資金は、この5年間で2兆5000億円も減り、今や1兆円を超える借金を抱える赤字会社に転落した。
Move to full Article"パナソニック、プラズマ撤退、BtoB事業シフトという“過去との決別”の行方 - 野口恒"
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