パナソニックが、ブラウン管カラーテレビやプラズマテレビの主力工場だった大阪府茨木市の事業所用地(約12万平方メートル)を年内に売却する方向で検討に入ったことが17日、分かった。不動産会社に用地を譲渡したあと、宅配便最大手のヤマト運輸が借り受けることで最終調整している。パナソニックのプラズマテレビ事業からの撤退に伴う資産売却の一環。ヤマト運輸は用地を物流拠点として再活用する。
売却対象となった茨木市の事業所は、日本が高度成長期にあった昭和33年にカラーテレビの生産工場として出発。ブラウン管テレビの衰退後は、パナソニックが次世代テレビの筆頭格に位置付けたプラズマテレビのディスプレー(画面)パネルや薄型テレビの組み立てを担ってきた。
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しかし、パナソニックは今年3月でプラズマテレビ事業から撤退。茨木の事業所では、技術者約400人を液晶パネルを生産する姫路工場(兵庫県姫路市)へ6月までに異動させることから、プラズマテレビの保守サービスに携わる従業員約100人が残るだけになる。
このため、パナソニックは保守サービスも他の拠点へ統合し、用地を売却することで検討に着手。不動産会社と譲渡契約し、用地の約12万平方メートルの半分程度をヤマト運輸が借りて、配送基地として使う案が有力となった。分割した残りの用地は、住宅メーカーや茨木市が取得に向けて関心を示している。
パナソニックが売却を検討する大阪府茨木市の事業所は、55年の歴史を持つ「メード・イン・ジャパン」を象徴した工場だ。カラーテレビの生産に始まり、
ダイアナ元英国皇太子妃や中国の最高実力者のトウ小平氏ら世界の要人が視察に訪れたほどの名門工場だったが、生産拠点の海外移転やデジタル家電市場の変化
の波にのまれることとなった。
前身の松下電器産業は昭和28年、財政再建が急務だった当時の茨木市長の熱心な誘致に応じて工場建設の覚書を交わし、33年にカラーテレビの生産を始めた。所在地の町名は「松下町」に改められ、自治体による企業誘致のモデルケースになった。
同社が茨木工場を中心に製造したカラーテレビは高度経済成長の下で飛ぶように売れ、60年に国内外の生産台数が累計1億台を達成。平成20年には薄型テレビと合わせ、世界で初めて3億台を突破させる原動力だった。しかし、リーマン・ショックを境に世界中で需要が急減。それまでのプラズマテレビ事業への大型投資が裏目に出て、25年3月期まで2期連続で7千億円超の赤字を計上する要因となっていた。
茨木市幹部は「55年の歴史があり、市民に愛着もある。売却となれば非常に残念だ」と話す。パナソニック社内にも「広大で形状のよい土地なので、分割して売るべきではない」との意見もあるが、社内改革が急務となっているだけに売却へと傾いている。
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