japan economic history2
「こりゃあ、何や。倉庫でモノを作ってるで」  
1995年秋、松下電器産業(現・パナソニック)相談役(当時)の谷井昭雄は、たまたま視察に訪れた香港の運送会社の倉庫をのぞいて驚いた。7年間務めた松下の社長を退いて2年余り、経営は後任社長の森下洋一に完全に任せていたが、時折、頼まれて業務の一端を引き受けることがあった。
日立製作所で半導体の事業部長を務め、97年に専務となった牧本次生は、谷井より9歳下。ほぼ1世代若い牧本は2000年に日立を退社し、ソニーに移った。移籍後、友人でもあるスイスの半導体メーカー、STマイクロエレクトロニクスの技術担当役員から、こんな相談を持ちかけられた。「インドで1000人の半導体技術者を雇用しようと考えている。ネットを使って、本社と連動した開発体制を作ろうと思う」。


japan economic history-1
日本型経営には様々な側面がある。エズラ・ボーゲルが指摘した年功序列などの3要素ばかりでなく、「現場優先」もその一つだろう。それは日本企業の評価が急速に高くなった70~80年代に固まったものだ。例えば、パナソニックの谷井が育てたVTRはもともと、56年に米国で技術開発が始まっている。それが日本で花開いたのは、現場発の優秀なモノ作り力があったからだ。画像や音声を記録・再生するヘッドの精密加工や、その正確な回転、そして部品間のすり合わせといった精緻な技術が日本のVTRを世界に押し出した。
 そこでも日本型経営が問題になった。「新卒で入社し、みんなが同じ経験をして育って経営者になる日本の仕組みでは、大胆な事業の組み替えや撤退などができる経営者は生まれにくい」。青山学院大学大学院教授の須田敏子はそう指摘する。今度は内部昇進の年功序列制度が問題になってきたのである。
Move to original article