“日の丸家電”の代表格だった東芝とソニー。今、両社の業績はあまりに対照的だが、その差はたった10年の間に生まれた。決定的な違いを生んだのは、岐路に立たされた時の「社長の決断」だった。『東芝解体』の著者・大西康之氏が迫る。】

 * * *  10年前、今の東芝に近い状況にあったのがソニーである。

 2012年5月に発表した2012年3月期の連結最終損益(米国会計基準)は過去最大の4566億円の赤字。テレビ事業などエレクトロニクス部門の不振から現金流出が止まらなかった。

同じ期、東芝の営業損益は2066億円の黒字。社会インフラなど手堅い事業を持つ強さが光っていた。 「ソニーが変わるのは今しかない。必ずやソニーを変革し、再生させる」  この年の4月に就任した平井一夫社長兼最高経営責任者(CEO)は、投資家の信頼を繋ぎ止めるのに必死だった。





 平井氏はゲームを中核事業と位置づける。一方、8期連続で営業赤字のテレビなど既存のエレクトロニクス部門は大幅なリストラや自社生産の縮小でコストを削り、黒字化を目指した。そして約束通り、2017年度には営業損益が7348億円の黒字となり20年ぶりに最高益を更新。だが、その種は平井氏の二代前、出井伸之CEOの時代に蒔かれていた。

 平井氏の前のCEOで、今はロンドンで悠々自適の生活を送るハワード・ストリンガー氏はこう語る。

「出井さんがCEOの時代、ソニーは『デジタル・ドリーム・キッズ』を合言葉に、テレビを中心とするハードの会社から、ソフトウエアが主体のプラットフォームの会社に変わろうとしていた。ただ時代が早すぎて変えきれなかった。今はようやくそれができている」

 薄型テレビが世界中で売れ、各社が液晶パネルの投資競争にのめり込んでいた2004年、出井氏は日本の最大のライバルである韓国・サムスン電子と手を組み、液晶パネルの合弁会社S-LCDを設立する決断を下した。半導体で韓国、台湾に敗北し、液晶パネルで巻き返しを狙っていた経産省幹部はソニーを「国賊」と呼び、様々なプロジェクトから締め出した。

 だが出井氏、ストリンガー氏、平井氏、吉田憲一郎氏(現会長)と連なる歴代CEOは「国策」に靡くことなく、プラットフォーマーへの道を突き進んだ。4月に新社長に就任した十時裕樹氏はインターネット通信会社、ソネットエンタテインメント(現ソニーネットワークコミュニケーションズ)の社長だった吉田氏を支えた経験もあり、もとよりハードの人間ではない。

 ソニーは吉田CEO時代に「10億人とつながる」とコンセプトを打ち出したが、十時氏の使命はそれを実現することにある。成し遂げれば4億人とつながるネットフリックスやアマゾン・ドット・コムを超え、世界屈指のプラットフォーマーになる。

 明暗が分かれたソニーと東芝。ソニーの売上高は9兆円を超えたが、東芝は3兆円と3分の1。株式時価総額も約8分の1に落ち込んだ。

 ソニーは自らの意思で進むべき未来を選び、リスクを覚悟で事業を組み替えてきた。20年前のソニーと今のソニーは全く別の会社である。ソニーにとってテレビの「ブラビア」や携帯音楽プレーヤーの「ウォークマン」はとっくの昔に主力事業ではなくなっている。

投資家が注目する収益源は、ゲームの収益の34%を占める「アドオンコンテンツ」。いわゆる「ゲーム内課金」である。

 自らの意思を持たず、国の忠実な実行部隊だった東芝は事業の組み替えができていない。「選択と集中」で資本を投下した半導体事業は切り離し、原子力は廃炉事業で細々と稼ぐだけの存在だ。

 インテルの創業メンバーで名CEOと謳われたアンドリュー・グローブはこう言った。

「Only the Paranoid Survive(パラノイア=偏執的な者だけが生き残る)」

 国策に忠実な優等生集団の東芝に最も足りなかったのは、忖度せず「絶対にこれをやるべきだ」と固執する「パラノイア」だったのかもしれない。

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