sharp lcd tv 006 シャープが堺の液晶パネル生産を終了することを発表した。一部には、シャープがテレビ事業から撤退するといった誤解があるようだが、これは間違いであり、テレビの部品としての液晶パネルの自社開発を止めるという話である。

 テレビを作るということと表示デバイスを作るということはイコールではない。液晶テレビ以前のブラウン管テレビにおいてもシャープは自社でブラウン管は製造せずに、他社のブラウン管を調達してテレビを作っていた。シャープは国産テレビ第1号を発売したメーカーでもある。

 そもそもシャープが液晶パネル開発に踏み切ったきっかけにも、この同社がブラウン管を他社から調達していたという事実が関係している。シャープは国産テレビ第1号メーカーであったのにもかかわらず、ブラウン管テレビの成長期に自社のブラウン管の製造設備の投資を行うことができずに、次第にブラウン管がコモディティ化(日用品化)してくると、今さらブラウン管を自社生産するよりも他社から調達する方が安いという状況になってしまっていた。






 そこで、1970年の大阪万博のシャープパビリオンの出展を急遽中止して、「ブラウン管の次の表示デバイスは自社開発する」という目標の下、奈良県天理市に液晶の研究所を設置して、液晶開発を開始することになった。これが液晶のシャープの始まりであった。

 1970年代から液晶テレビの実現に向けて研究を開始したものの、液晶テレビ「AQUOS(アクオス)」として商品化するためには、30年の年月が必要であった。とはいえ、その研究は30年間何も事業に貢献しなかったわけではない。初期の液晶は、白黒で応答速度も遅く、視野角も狭かった。しかし、シャープはその世代ごとの液晶技術で商品化可能な商品を考え続けた。

 初期は、電卓の表示パネルや時計などに応用し、そこから進化したパネルをゲーム機に、さらに進化したカラー液晶をビデオカメラ(液晶ビューカムで有名な液晶パネル付きのビデオカメラはシャープが初めて商品化した)や携帯電話にと、その都度、実現可能な技術を様々な分野の製品に応用し、発売してきた。

こうした一つの技術や能力を様々な事業や製品に使い回すことを、コア技術戦略あるいはコア・コンピタンス戦略と呼ぶ。一つのものを大量に作ると量産効果によって、製品一つ当たりのコストが下がり利益率が上がることを、規模の生産性と呼ぶ。固定費は一定なので、生産量が増えると、1生産当たりに配分される固定費が下がるという理屈である。

 これに対して、事業の応用分野が増えると、固定費が複数の事業に配分されて、1事業当たりの固定費が下がる効果のことを、範囲の経済性という。つまり、コア・コンピタンス戦略とは、範囲の経済性によって、より利益率を高める戦略のことをいう。

 一般にビジネスでは、自社にとって重要な能力をコア・コンピタンスと呼びがちだが、本来のコア・コンピタンスの定義は、その事業にとって重要な能力であって、多様な用途に応用展開できるものと言われており、どんなに自社ユニークな技術や能力であったとしても、応用展開が効かないものはコア・コンピタンスとは呼ばない。

 シャープにとって液晶技術とは、コア・コンピタンスであり、「液晶のシャープ」という言葉は、シャープが液晶というコア・コンピタンスをシャープの多様な事業に応用展開するということを意味していた。

20世紀の終わりから2000年代初頭のシャープの液晶戦略は、模範的なコア・コンピタンス戦略の事例と言える。では、なぜその後、シャープの経営は傾き、鴻海の傘下に入り、さらに今回も堺の液晶パネル工場を閉じることになったのか。

 それは、コア・コンピタンスには賞味期限があり、コア・コンピタンスのメンテナンスが必要だったのに、その必要があるときにメンテナンスを怠ったことが、長くシャープの成長を阻害する要因となったと言える。

 コア・コンピタンスとは、効率よく開発投資を集中化して、ムダをなくす戦略である。一つの開発投資で何度も異なるイノベーションを起こそうというのがコア・コンピタンス戦略である。しかし効率化は、集中化のリスクを伴い、不確実性に弱くなる。一つのコア・コンピタンスが、社内外の新たなイノベーションによって形成された新たな能力によって陳腐化されてしまうと、そのコア・コンピタンスによる優位性は失われ、さらに同じコンピタンスによって差異化されていた全ての事業が優位性を失うことにもなる。

● 堺工場にとって重要だったのは コア・コンピタンスのメンテナンス

 シャープの例で言えば、2007年に当時の片山幹雄社長が「液晶の次は液晶」と発言しているが、当時は台湾、韓国、そして中国などの液晶パネルメーカーが台頭し始めた頃であり、液晶はシャープの独壇場ではなくなっていた。

 2009年には大阪府堺市に世界初の10G(第10世代)の大型液晶パネル工場を建設したが、技術的に差異化されたパネルで自社テレビ製品優先に付加価値を増していくのか、あるいは他社でも使いやすい標準的な技術のパネルで大量に外販を行うのかの間で中途半端な戦略に終始ししたため、大量のパネルを持て余す結果となった。

 それが尾を引き、その後の新たな設備投資を行うことができなくなり、世界が10.5Gや11Gのパネル工場の操業に設備投資を行う中で、シャープの堺工場は中途半端に大きく、今日の大型テレビ市場にとっては中途半端に小さいパネル工場になってしまい、結果的にシャープのお荷物になってしまった。このことが、足もとの堺工場における液晶パネル生産停止のニュースに繋がる。

シャープが行うべきだったのは、コア・コンピタンスのメンテナンスである。現在、堺の工場はAIのデータセンターに活用しようと計画されているようである。液晶パネルから新たなコア・コンピタンスの確立のために新たな事業に乗り出すのは、まさにコア・コンピタンスのメンテナンスであり、良いことなのだが、惜しむらくはこれがもう少し早く行われていれば、シャープの経営状況はもう少し良かったのではないかということだ。

 あるいは、コモディティ化した液晶工場を徹底的にコストリーダーシップ戦略で生き残らせるという手もなかったわけではないのかもしれない。2009年の10G建設の時点で、徹底的に外販を中心にしたビジネスに転換し、他者が使いやすい標準的なパネルを大量に低価格で供給することができていれば、液晶パネルメーカーとして台湾や中国、韓国と張り合うことができたかもしれない。

● シャープの液晶事業に見る 「飛躍」と「凋落」の分かれ道

 液晶パネルの部材、設備メーカーには日本メーカーが多く、昨今の円安の流れがあれば、タイミングによっては日本の液晶パネルは価格競争力を強く持つことができたかもしれない。今日、ソニーのイメージセンサーがグローバルでトップシェアをとり続けることができているのは、同社の半導体ビジネスが、長年自社よりも外販顧客企業優先でビジネスを行い、価格と量の競争から逃げなかったことが大きな要因となっている。日本だから安いものは作れないという思い込みから逃れることができていれば、堺の液晶パネルにも違った歴史が待っていたかもしれない。

 技術は製品差異化の重要な要素ではあるが、その全てではない。シャープが液晶技術開発だけを戦略の全てにするのではなく、時代の変化に対応する組織の能力を持ち、あるいはコモディティ化する技術領域で、もっとビジネスの視点で事業を俯瞰することができれば、液晶の次を考えることでシャープが生き残るか、あるいは液晶の新たな局面で新たな戦い方をするシャープとして生き残るかを選択し、いずれにしても今より良い状況にもっていくことは不可能ではなかったかもしれない。

 (早稲田大学大学院 経営管理研究科 教授 長内 厚)

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