1968年にシャープの栃木工場が開設され、およそ半世紀もの間「シャープの企業城下町」と言われ続けてきたのが栃木県矢板市早川町だ。
カラーテレビの専門工場としてスタートした同工場は、1986年に従業員数が約3000人に達し、そのうちの半数は同市在住だった。
工場のすぐそばで美容院を営む高齢の女性は、「昔は道路に面したそこの女性寮に向かって、外から男性が大声でナンパしたり、大騒ぎしたりして賑やかだったんだから。うるさくて迷惑だったけど、なんていうか街が元気だった。今はそんな面影もないわ」とぽつりとつぶやいた。
敷地を一周してみると、かかった時間は1時間以上、8000歩に達した。まるでひとつの街のようだ。一部の建物はツタで覆われ、人が消えた大企業の建物群は、まるでゾンビ映画の“セット”のようだった。
「当時は『シャープあっての矢板』と言われるほど…」
歩き続けていると、偶然にも「この栃木工場が開設される時代から、定年まで勤務した」という生え抜きの元社員の男性(70代)に遭遇。当時の盛り上がりぶりを聞いた。
「当時は『シャープあっての矢板』と言われるほど、蜜月関係にありました。シャープの労働組合から代表して1人を市会議員として送り込んでいたこともあった。そして連日連夜、従業員が地元のスナックやキャバレーにお金を落とすので、多くの店から『シャープがあるから子供を大学に行かせることができた』と何度感謝されたことか……」
しかし今はどうだろう。潰れている店がとにかく多い。
「人気だったキャバレーが葬儀屋になっちまうなんて。時代の流れとはいえ、切ないね」と、男性は肩を落とした。
また、大企業の撤退は少し離れた付近の観光地にも影響を及ぼしているという。元社員の男性がこう続ける。
「昭和の時代、この辺りで宴会をするなら日光・鬼怒川温泉が定番だった。観光バスを15台以上借りて、泊まりがけでどんちゃん騒ぎ。しかも年に何度も。だけど、それが業績の悪化とともに中止になった。各地の企業の衰退とともに、日光も荒廃が進んでいると聞きましたよ」
日光を訪れると、東武鉄道鬼怒川公園駅近くの滝見橋から、同じく廃墟と化した旅館やホテル群が見える。かつては派手な宴会が開かれていた様子がうかがえた。
工場跡地が買い取られ、芽吹く再起の希望
最後に、元社員の男性に“この街の未来”を尋ねてみた。
「最近、この工場跡地を地元の製材業を営む企業が買い取ったそう。街に少しでも活気が戻れば、これほどうれしいことはありません」
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