
――INCJ会長を引き受けた経緯は。
「日産時代から電池やフォークリフトの事業再編でINCJとかかわっていた。日本では大企業傘下に様々な事業がぶら下がっており、再編を経て専業企業として独立させていくことが日本経済の競争力を高めると感じていた。15年に経済産業省から打診があった際には二つ返事で引き受けた」
――恣意的な企業救済に使われる「都合のいい財布」という批判は根強い。
「その批判は全くあたらない。少なくとも私が会長になった15年以降はINCJが主体的に投資判断をしており、経産省や政治家の指示を受けての投資案件は一件もない」
「もちろん数多くの失敗はある。レガシー(遺産)を次世代に残すために144件のすべての投資案件を精緻に検証して次代の産業政策に生かしてもらう。社内の議論も可能な範囲で記述した社史の編さんも進める。我々の株主は国民。壮大な社会実験における失敗も国民の財産にすべく、誠実に説明する義務がある」

――スタートアップ分野で民業圧迫が問題視された。
「民間資金の呼び水効果によって批判はかき消された。民間資金だけでできる案件は民間に任せた。民間だけではリスクが高い分野のシード・アーリー期のスタートアップに投資し、少額ならば出資できる民間に参加してもらった」
――日本は小粒の新規株式公開(IPO)が多い。
「理由の一つは、事業構想段階から世界展開を見据えているスタートアップが少ないことだ。日本市場に合ったビジネスモデルを作ってから世界展開するのは難しい。また、VCが組成するファンドは満期が設定される。この問題の解決には時間がかかる」
「INCJにはプライベートエクイティファンド、ベンチャーキャピタル(VC)、コンサルティング、商社、メーカー、銀行から集まってくれた様々な人材が在籍している。INCJで投資実績を積んで民間VCを創業した人もいて、人材育成の面でも貢献はできたと自負している」
――ルネサスエレクトロニクスの投資収益は1兆円を超えた。
「まず余剰設備の解消のために大規模なリストラを実施し、自動車メーカーとの不利な契約も見直した。会長兼CEOを務めた作田久男氏、INCJの柴田英利氏(現ルネサス社長)が役割を果たしてくれた」
「半導体専業メーカーとして企業価値を高めた上で保有株を段階的に売っていく必要があった。日本電産(現ニデック)からの買収提案もあったが、大企業傘下に入ればおかしくなると判断し、ルネサス経営陣に任せることでうまく企業価値を高められた」
――その一方で、INCJが設立を主導したジャパンディスプレイ(JDI)では総額1547億円の損失を出した。
「JDI設立の12年から数年間はiPhoneブームによって茂原工場(千葉県茂原市)と白山工場(石川県白山市)で増産投資を続けた。増産に沸いたことでリストラの時期を逸してしまった。管理部門のグリップも弱く、ブレーキをかけられる冷静な人間がいなかった」
――赤字続きのJDIに追加投資を続けた。救済ではないか。
「16年にシャープ液晶部門とJDIを統合する再編案を検討したものの(シャープは鴻海精密工業の傘下入りを選んだため)実現できなかった。そのためJDIの成長戦略が必要だった。車載パネルや有機ELパネルを強化するための成長投資だった。その後も責任を放棄してまで『店じまい(完全売却)』する判断ができなかった」
――有機ELパネルを巡ってはJOLEDが23年に破綻した。
「JOLEDで1300億円を超す損失を出したことは大きな反省点だ。ただ印刷方式の有機ELパネル生産は世界初の技術で、日本の『技術で勝って事業で負ける』との悪弊を変えたい、という信念で投資した。事業者がリスクを取らないのであれば、我々がリスクをとって技術革新に挑んだ。結果は残念だが、日本の産業界にとってチャレンジそのものは必要だ」
「事業再編を手掛けてきて感じるのは、売られることに日本人のマインドがあまりにも情緒的であることだ。非中核部門として生き残ることが本当に幸せなことなのか。感情的な経営判断によって日本が沈んできたと感じている。このマインドは徐々に変わり始めており、そうした変化もINCJの成果だと考えている」
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