EIX68GUC 「もう一度、シャープらしさを取り戻したい」

9月29日、報道陣を集めた懇談会で、シャープの沖津雅浩社長は力を込めた。土俵際に追い込まれたシャープが、復活の道を歩み始めている。(詳細なインタビュー記事はこちら)

 2022年度、23年度と立て続けに1000億円超の最終赤字に転落。わずか2年間で合計4000億円以上の純損失を計上し、自己資本比率は一時9%まで低下した。

 火中の栗を拾うタイミングで24年6月に沖津氏が社長に就任してからは、「アセットライト」戦略を進めてきた。巨額の赤字を招いたディスプレー事業は、大型液晶パネルの生産が24年8月に終了。

 大阪府堺市にある堺工場の土地や建物は、ソフトバンクやKDDIなどに合計1000億円超で売却した。かつて「世界の亀山工場」ともてはやされた亀山第2工場(三重県)も、親会社である台湾・鴻海精密工業へ売却する方向ですでに検討が進んでいる。

 一連の改革を経て、24年度は273億円の営業黒字に転換。25年度の営業利益は8月の上方修正を経て、300億円となる見込みだ。

 シャープにとって大きな転機となった、鴻海傘下入りから10年の節目が迫っている。この間、シャープには一体何が起きていたのか。そして、沖津社長が語る「シャープらしさ」はなぜ失われてしまったのか。








 16年5月にシャープが発表した15年度の決算は、惨憺(さんたん)たる結果だった。スマートフォン向けの液晶需要が急減し、収益柱だったディスプレー事業が1291億円の赤字に陥った。在庫評価損による特別損失もあり、純損失は2559億円に到達。債務超過となり、当時の東証1部から2部に指定替えとなった。

 窮地に陥ったシャープを救ったのが、iPhoneの組み立てなどを手がけるEMS(電子機器の製造受託サービス)最大手の鴻海だった。第三者割当増資を引き受け約4500億円を出資。同時に経営トップから現場レベルの社員まで、多くの人員をシャープに送り込んだ。

こうして始まったのが鴻海流の経営改革だ。鴻海傘下入り直後の17年度には、シャープの営業利益は624億円まで回復した。実際、鴻海による経営改革が効果を発揮した部分もある。その1つが経営のスピードアップだ。

 「昔のシャープでは、月に1度の経営会議にはめ込まないと決裁が取れなかった。鴻海傘下になったことで意思決定のスピードは上がり、今では必要なら(提案された)その日の午後にテレビ会議で決裁できる」(沖津社長)

 しかし鴻海から送り込まれた経営陣が掲げた、徹底したコスト削減「節流(せつりゅう)」はシャープの中に歪みを生んでいった。研究開発のための人員は削減され、家電系の事業では広告宣伝費もほとんど使えなくなったという。

■カリスマ創業者が去った鴻海

 厳しいプレッシャーにさらされたシャープに転機が訪れる。19年に鴻海の経営トップ(董事長)が交代することになったのだ。シャープ買収を主導したカリスマ創業者のテリー・ゴウ(郭台銘)氏が去り、ヤング・リウ(劉揚偉)氏が就任した。

 「今の董事長に変わるまでは、EMSの会社の考え方だった。交代後はEVやAIなど新規事業に取り組むようになり、その方向性がシャープと一致したことで、鴻海の力を借りることができるようになった」(沖津社長)

 はたして大手電機メーカーとしての存在感を、再び放つことができるのか。「シャープらしさ」を取り戻すための試練は続く。

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