June 08, 2026
【ピックアップ記事】レコード針のナガオカ 長岡香江社長/元専業主婦「どん底」から事業多角化で復活
レコードブームが再燃している。レコード針のトップメーカー、ナガオカ(山形県東根市)の長岡香江社長(53)は元専業主婦。10年前、夫の急死を受けて社長に就任するまで会社には関わっていなかった。四代目として経営を任されたときは正直戸惑ったが、「素人の女性経営者でも高い志を持って全力で経営に取り組めば、会社を立て直せるはずだと前向きに考えるようにしました」。 ナガオカは今や世界中に代理店をつくり、欧米をはじめ東南アジアなど50カ国に輸出する。レコード針の生産では世界シェア9割という圧倒的なシェアを誇り、レコード文化のけん引役を担う存在となっている。
創業85周年、世界的アワード受賞
レコードを聴くときに欠かせないものといえば、音源のレコードとプレーヤーのカートリッジに取り付ける針。レコードの溝に刻み込まれた演奏を針でピックアップして、アンプで増幅してスピーカーを鳴らす。
その音は針先の形状で変わってくる。1978年から続くナガオカのロングセラー商品が「MP」シリーズ。
低価格の「MP-100」から始まって「110」「150」「200」「300」「500」と販売してきたが、創業85周年の2025年に発売した新商品「MP-700」が高く評価され、映像・音響分野で世界的に権威のある「EISAアワード」の「ベストカートリッジ2025-2026」やドイツの「フィデリティー・マガジン・アワード(FIDELITY-Magazine Award)2026」を受賞した。
価格は税別18万5000円。税込み20万円もする最高級モデルだが、円安の効果もあって海外で売り上げを伸ばしているそうだ。
東京・渋谷の北参道にあるナガオカトレーディング本社ビル。創業者の銅像や受賞トロフィーが飾られた応接室で、香江さんは「新製品のレコード針やアナログ関連製品の研究開発を地道にやっています」と明るい表情で語る。

1982年にCDが登場してから、レコード業界は大きな打撃を受け、ナガオカもさぞかし苦しい経営を強いられてきたのではないかと思いきや、ここ10年は生産量、売上高ともに拡大の一途をたどり、18年には老朽化していた渋谷のビルを建て直したという。
「みんなでアイデアを出し合いながら、レコード針の新製品を出し、ワイヤレスイヤホン、デジタルカメラ、美容機器なども始めました」。レコード針の世界シェアを高める一方で、アナログからデジタルへと事業の多角化を進めてきたのだ。
会社案内を見ると、「小さくて硬いモノの加工で、世界有数の技術力を誇ります」というキャッチコピーが目に飛び込んでくる。
いまでこそ増収増益のナガオカグループだが、長岡さんが就任した16年当時、会社はどん底の状況。レコード針の売り上げだけでは存続すら危ぶまれる状態だった。
CD普及で大打撃
ナガオカの創業は1940年。福沢諭吉の教えを受けたという初代長岡榮太郎が東京都豊島区に「長岡時計部品製作所」を設立し、ルビーやサファイアを加工して時計の軸受け石をつくる事業を始めた。やがて硬石の加工技術を生かしてレコード針の生産を開始し、60年代にダイヤモンドを先端に接合した「長岡式ダイヤモンド接合針」を開発したところ大ヒットした。世界に市場を広げ、会社は急成長した。
ところが、CDが普及するとレコード針の需要は激減し、ナガオカは大打撃を受けた。当時、創業者の長男の長岡榮一氏が二代目社長になっていた。榮一氏は悩み抜いた末、90年に会社を解散する黒字清算に踏み切った。黒字の状態で清算したのは「従業員や取引先にできる限り迷惑をかけたくなかった」からだった。 レコード針の製造を打ち切るとともに、いったんは解散を決めたが、「レコード針の生産をやめないでほしい」という音楽ファンの声に押されて、会社規模を10分の1に縮小したうえで事業を再開した。
事業は三つに分社し、本拠地だった東京・大塚のかわりに、製造部門は山形と山梨のナガオカ精密に、東京・渋谷のナガオカトレーディングは専門商社として、それぞれ役割分担して再出発した。
その後、現在の香江社長の夫の秀樹さんが三代目社長として家業を継ぎ会社再建に尽力したが、秀樹さんの急逝を受け、香江さんがナガオカの経営に携わることになったのである。
就任後1年でV字回復
社長がいなければ会社は動かない。銀行から借り入れた多額の負債もあった。香江さんは当時を振り返り、「子育てと習いごとという平和な毎日を送っていた専業主婦が、事業を承継するのは誰もが無謀だと思ったのではないでしょうか」と語る。
14年にナガオカの取締役として入社、16年に「難破船の船長になったつもり」で代表取締役に就任した。経営者の経験はゼロだが、多少の素地はあった。慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科を修了した後、新卒で外資系金融機関に勤務した経験もある。いたって楽観的な性格。「本気で物事に取り組めばなんとかなる」と思っていた。
その言葉通り、翌年には赤字から黒字に転換し、銀行や関係者を驚かせた。「徹底的に無駄な経費をカットしました」。仕事のパソコンは自分が使っているものを家から持ってくる。車も社用車は半分カットした。「赤字が何年も続くとまずいので、私の給料も含めて役員報酬は極限まで減額した」という。
経費節減に努める傍ら、「世界のナガオカ」ブランドの復権を目指し、次々に新ブランドを発表し、ヒット商品を連発した。社内の意識改革にも積極的に取り組み、業績を大幅に伸ばした。その後も右肩上がりに売り上げを伸ばし、社長就任後9年間で年商を3倍まで伸ばすことに成功した。 外資系の金融機関で働いた経験があるとはいえ、金融ともの作りは全く異なる性質の仕事。当然、苦労や戸惑うことも多々あったのではないか。
ファミリー企業の事業継承は世代間対立がつきもの。社風や伝統にしばられ、就任後も往々にして勝手なまねはできないものだが、香江さんは「制約はほとんどなかった」と話す。
「会長も先代の社長もいない状況で、経営者の心構え、立ち居振る舞いも含めて、分からないことばかりでした」。しかし、ポジティブな見方をすると、長年ナガオカに勤務して現場をよく知るベテラン社員の意見を参考に、自由な発想でアイデアを出し合い、新しい事業にダメ元で挑戦できたのはプラス要因でもあった。
入社後、社長就任までの2年間は、会社や業界を学ぶ時間に充てた。「いろいろな経営者の本を片っ端から読み、自分なりに会社をどうしていくかを一生懸命考えました」。手探りで事業展開の方針を考え、取引先や社員にも意見を聞いた末に到達した新たな方針が、アナログのレコード針にこだわらずデジタルの分野に挑戦することだった。
アナログからデジタルへ
「アナログだけじゃなくて、『音のナガオカ』と考えて、デジタル製品を展開してもいいのではないか。音にこだわったイヤホンなど、時代に合った製品を開発するといいのではないか」。就任したての香江さんが提案すると、社員たちは一様に驚いた様子だった。その表情は「ナガオカなのにデジタルもやるんですか」「やっていいんですか」と言っているように見えた。
ナガオカはレコード針の会社だから、アナログの製品しかやってはいけない。そんな観念が社内に染みついていた。しかし、同時に「このままでは会社の未来は暗い」ということも多くの社員が感じていた。その壁を香江さんが崩したのだ。「ナガオカを、日本を代表するブランドに育てる」。これまで手薄になっていた新製品の開発や国内の家電量販店の売り場づくりを強化し、海外営業部を立ち上げた。若い社員たちも加わったミーティングでアイデアを出し合いながら、新製品の開発、社内改革を進めた。
ナガオカ製品の販路は、大手のホームセンターや家電量販店、コンビニなどにも広げ、大手メーカーに負けないように売り場を拡充していった。
レコードを聴く人がいる限り
香江さんは、元専業主婦だったからこそ徹底的に無駄なコストを省き、古い伝統や慣習、しがらみにもとらわれず、独自の戦略で新しい分野に挑戦できたのかもしれない。
現在、社員は3社合わせて約150人。女性が7割を占める。製造業としては異例の比率だが、「針を手作業で組み立てるのは女性に向いた仕事」なのだという。
「レコード針のナガオカ」としてその名を知られてきたが、実は現在の売上高に占める割合は2割程度にすぎない。
ナガオカは、半世紀以上にわたって世界のレコード文化を支えてきたという自負がある。レコード針の生産は「社会貢献事業」でもあると香江さんは語る。
長年大事にしてきたのは、音楽を通じて「生活を豊かに」という思いだ。夫秀樹さんは、レコード文化の一角を担うメーカーとして、社会的な使命を果たそうと事業を継続した。
香江社長はその意志を継いで「レコードで音楽を聴く人がいる限り、少しでも素材や内部構造をアップグレードし、より音質を向上させた高品質なレコード針をつくり続けたいです」と語る。 100周年を目指して、新たな製品開発の“がんばり”を続ける。さて、どんな展開を見せてくれるのか──。







































